
自分だけは、自分を見捨てない。ロンドンで一人カートを押していた吉村俊宏が、日本食EC「WASO」を欧州へ広げるまで
ロンドンで弁当を配送していた吉村俊宏。資金が尽きかけるなか、コロナ禍で既存の事業も止まる。そこから13日で家庭向け冷凍食品の宅配へ作り替え、多国展開に至るまでの歩みと、海外起業の実務10項目。(取材・文:グローバルファウンダーズ編集部)
プロローグ 飛脚のように
ドライバーのトラブルで、届けられない注文が出る。そんな日、吉村俊宏はいまも自分で届けに出る。夜9時を回っていても。
「一食を届けることは諦めない」。約110人が働く会社の社長になっても、それは変わらない。
7年前の冬。同じ街を、彼は走っていた。
2019年。木枯らしが吹くロンドンの金融街シティ。
弁当を積んだカートを押して、銀行から銀行へ。カートががたがたと揺れる。
「ロンドンの金融街って、それなりに大きいんです。三菱UFJ銀行さん、三井住友銀行さん、みずほ銀行さん。回ろうとすると多少距離が離れている。お昼時間に間に合わないから走るしかない。毎日走ってましたよ、飛脚のように」
少し前まで、WASOには20人を超えるスタッフがいた。1日約300食の弁当をオフィスに届け、ロンドンの日本文化施設とも契約していた。外から見れば、順風満帆だった。
だが、資金が続かなかった。吉村は一人で縮小を決め、大半の社員に退職を告げた。
「本当に苦渋の決断でした」
残ったのは、パートタイムのスタッフ一人。吉村がおかずを作り、2人で弁当を詰め、配達は自分で担う。1日およそ50食。売上は約300ポンド。原価とスタッフの給料を払うと、残るのは月約3,000ポンドの家賃にやっと届く額だった。
走りながら、何を考えていたのか。
「本当に歯を食いしばって。『自分だけは自分を見捨てない』と思っていました」
「他の人に信じられなくてもいいから、自分は自分のことを信じようと。カートを押して走りながら『やり切るんだ』『絶対負けないんだ』という気持ちを持っていたのは、記憶しています」
だが、試練は終わらない。数カ月後、コロナ禍がロンドンを襲う。オフィスから人が消え、弁当の届け先がなくなった。
ピボットするしかない。吉村はわずか13日で、オフィス向けの弁当配送を家庭向けの冷凍食品宅配へ作り替えた。いま英国とフランスに広がるオンライン日本食スーパーは、この13日から始まった。
第1章 大きな事業をするには、世界に行くしかない
吉村は1987年生まれ、東京出身。
原点は、中学生のころにNHKの番組『マネー革命』で見た一人の投資家だ。ジョージ・ソロス。財を成し、それを社会のために使う姿に、少年は憧れた。
「『自分もこうなりたいな。なるためには世界に行くしかないな』と考えたのを覚えています」
15歳のころには、もう事業をやりたいと思っていた。世界に良い影響を与える人になる。そのために、海外で事業を興すか、ファンドマネージャーになるか。
海外で働く日を見据え、中学生のときから英語に打ち込んだ。高校の卒業旅行の代わりに選んだのは、米サンディエゴでの6週間の語学留学。大学4年のときには、メルボルン大学に約1年、交換留学した。
約30カ国の学生が暮らす寮で、吉村は自分にルールを課した。初めて会った人には必ず挨拶する。最初の1週間は、パーティーに出続ける。風邪をひいて熱があっても、飲んで、踊った。パーティーが好きなタイプでは、まったくないのに。
「留学に行った最初の1週間が本当に勝負なんです。最初に挨拶しなかったら、その後は挨拶しづらい。最初の1週間にパーティーで人と交わらなかったら、その後も声をかけづらい。でも最初なら、みんな気にせず仲間に入れてくれる」
テンポの速い会話についていけず、逃げ出したくなるときもあった。そのたびに、わからなくてもその場に居続け、逃げ出さなかった。部屋に戻っても、一人で英語をしゃべり続けた。英国に渡るころには、仕事で使える英語が身についていた。
英語と並んで打ち込んだのが、サッカーだ。子どものころから、放課後はサッカースクールに通った。
慶應義塾高校から慶應義塾大学経済学部へ進み、体育会サッカー部に入った。日本代表も輩出する強豪で、内部進学の部員が試合に出ることは、ほとんどない。それでも練習を重ね、ついに出場をつかんだ。
「どんなに下のチームであっても腐らず、誰よりも筋トレして、練習していました。諦めなかったですね」
世界で事業をするなら、世界共通の課題に取り組もう。そう考えて大学では環境経済を学んだ。卒業後の約1年は、排出権取引の会社や、欧州のアウトレットモール企業でインターンをした。
その後、三井住友銀行を経て、2011年9月にJ.P.モルガンの投資銀行部門へアナリストとして移った。
「そのときのベストの選択肢として金融を選びました。自分で事業をやりたいという思いは常に持っていたのですが、そのアイデアがまだなかったので就職から始めました」

第2章 ロンドンで食べた日本食への違和感
J.P.モルガンでの約2年間も、吉村は事業の種を探し続けた。2012年秋、有給休暇を長めに取ってサンフランシスコへ飛ぶ。2週間の滞在で技術系の事業アイデアを得たが、実行には移せなかった。
情熱を持てる領域でなければ、続かない。そう考えて学生時代から書きためていたノートを読み返すと、繰り返し出てくるテーマがあった。日本文化と「食×グローバル」だ。
2013年8月、再び有給休暇を取り、パリとロンドンを回った。ロンドンのトッテナム・コート・ロードにある日本食チェーンで、吉村は商品の説明に違和感を覚える。店を出るころには、この分野で起業すると決めていた。
「当時は、ライスヌードルをそうめん、カニカマを蟹のすり身、ただのエビフライをエビ天ぷらとして売っていたりして、日本で食べるものとは違う食べ物が日本食として並んでいました。」
「『ちゃんとした日本食、本物を届けたい。やるしかない』と起業を決意しました」
吉村は昔から、正義感が強い。日本食の店は街にあふれているのに、日本人が経営していない店も多い。日本の文化を、別の誰かが売っている。
「その背景が見えてくると、日本人として悔しく感じました」
なぜロンドンだったのか。ニューヨーク、ロンドン、香港、パリなどを視察し、市場環境や言語を比較した。重視したのは、日本食市場の成長と、他国への展開のしやすさだった。
「英国から始めると、歴史上のつながりのある国、たとえば中東、オーストラリア、インド、アフリカ、香港など他の国へ展開しやすいのではないかと考えていました」
帰国後、あえて2週間、決断を寝かせた。一時の熱なら、冷めるはずだ。気持ちは変わらなかった。2013年11月、J.P.モルガンを退職する。
退職後の約1カ月で、東日本のほぼすべての都道県を回った。一つの土地に2〜3日ずつとどまって観察し、WASOの構想を固めていった。
第3章 15分で作った会社と集まらなかった1億円
2014年2月、吉村は日本の自宅から、オンラインで英国法人を登記した。
「15分くらいで作れました。全部オンラインで完結です」
同年4月、ワーキングホリデーのビザで渡英した。27歳。現地の和食チェーンでアルバイトをしながら市場を観察し、9月に起業家ビザへ切り替えた。元手は、J.P.モルガン時代の給料と、大学時代から続けてきた株やFXの運用でつくった。
「それでお金を1.5倍ぐらいに増やし、その資金を握りしめてイギリスへ来た」
共同創業者は、中学から高校、大学まで一緒だった同級生だ。吉野家で働いていた彼を「一緒にやろう」と誘った。二人が当初目指していたのは、配送ではなく日本食の店舗チェーンだった。
「もともとは『グローバルな日本食ブランドをつくりたい』という思いから始まっています。イギリスにはWasabiやitsuのような寿司チェーンがたくさんあった。自分たちもそういう方向性を検討していました」
だが、構想を実現するには1億円が必要だった。
「資金調達にも挑戦しましたが、駄目でした。振り返ると、今の僕でも出資しない事業計画でしたね」と笑う。
自分たちの資金で、何ができるか。答えが、あのカートだった。店舗を持たず、日本食を届ける。起業家ビザを得た2014年9月から半年。2015年3月、WASOはソフトローンチを迎える。
社名のWASOは、漢字で書けば「和惣」。「惣」には「すべて」という意味があり、「物」と「心」でできている。和のすべてを使い、物でも心でも人を満たしたい。「人を前に進めたい、という思いを込めてWASOにしました」
異国での起業に、不安はなかったのか。4年後の2019年、ポッドキャストでそう聞かれ、吉村はあっさり答えている。「不安はなかったですね。自分を信じてるんで」
キッチンは、南ロンドンのキャンバーウェルに借りた。朝6時前に入り、唐揚げを揚げ、豚みその炒め物をつくる。主菜は吉村の担当だ。1日約100食を詰め、赤い手押しカートでシティのオフィスへ走る。配り終えるとキッチンに戻り、仕込みと顧客対応。帰るのは深夜1時。4時間ほど眠って5時に起き、6時にはまたキッチンに立った。

半年ほどで、オールド・ストリートの倉庫に移った。事務所を借りる余裕はない。近くのカフェで一番安い水を買い、そこを仕事場にした。
毎朝、金融街のバンク駅に立った。割引コードとサイトのURL、メニューを載せたチラシを1日500枚。100枚配って、注文は1〜2人。それでも客は、1日5〜10人ずつ増えていった。
「2015年から2020年まで、朝7時半から9時まで、自ら毎日、チラシ配りをやっていました」
第4章 売上が伸びても資金は足りなかった
事業は少しずつ伸びた。2018年5月には、シティとカナリーワーフに1日平均約300食を届けていた。日本人駐在員向けに始めた弁当は、口コミで日本人以外にも広がった。同年、テレビ東京の番組で紹介され、外務省が主導する日本文化の発信拠点ジャパン・ハウス ロンドンとも契約した。パートタイムを含めると、スタッフは20人を超えていた。

ただ、売上が伸びても、事業を続ける資金は足りなかった。
「右肩上がりで、売上としては、年間5,000万〜6,000万円ぐらい。でも、ユニクロのような大きな会社にしたいと思っていたので、『何か違うな』と思いながら続けていました」
2018年夏には資金が尽きかけ、日本の起業家らからの出資でしのいだ。それでも、資金繰りの厳しさは変わらなかった。
2019年の夏、吉村は決めた。
「『このまま継続していてもだめだ』と判断し、10月に事業縮小をしました」
パートタイムのスタッフと2人きりの縮小営業が始まる。吉村は再び、一人でカートを押した。プロローグで描いた日々である。

「自分たちが過去5年、時間を無駄にしたかなとは思っていました。当時は、ベッドと机を一つずつ置くとドアが閉まらないほど狭いシェアハウスの部屋に住んでいました。
同級生たちは、それなりの給与をもらって家庭も持っていました。一方、自分は32歳でお金もなく、狭い部屋で生きている。『俺は何をしているんだろう』と思うときもありましたね」
帰ろうとは思わなかったのか。
「思っていなかったですね。負けず嫌いなんです。諦めが本当に悪いので、諦められなかった」
支えになったのは、偉大なアスリートたちの言葉だった。
「イチローさんとか、マイケル・フェルプスとか。フェルプスだって、何年も、1日も休まずプールに行っているはずなんです。クリスマスの日も。イチローさんも、やりたくないと思う日があっても、それでも行く。クリスティアーノ・ロナウドも、100%得られなくても10%でも得られるからやりたくない日でもやる、と。そういう言葉をInstagramに保存して、何かあったらそれを見ていました」
第5章 13日で事業を転換する
縮小営業の間に、吉村は事業モデルを見直した。コスト構造を組み替え、原価を大きく下げた。1カ月半後の2019年末、WASOは再出発した。
「復活した後、数カ月したらコロナになりました。ピボット自体は、コロナによって強いられた形です」
2020年3月。ロンドンのオフィス街から、人が消えた。弁当の届け先がなくなった。
「人が家にいるんだったら、家にお届けしなきゃいけない。家にお届けするんだったら、温かいものは無理。じゃあ冷凍するしかない。
冷凍のノウハウはなかったのですが、それでもやるしかない。13日ぐらいで事業を立て直しました」
冷凍に切り替えると告げると、周りはみな反対した。「また思いつきでアイデアを出している」。それでも、止まらなかった。13日間の突貫が始まる。パートタイムのエンジニア一人と、サイトを作り替えた。ドライバーを一気に採用し、冷凍の在庫を積み上げる。ロンドン全域を毎日回ることはできない。エリアごとに配達曜日を決め、注文をまとめて届ける仕組みを、吉村が考えた。「僕しかいなかったので、僕が全部考えて」
2020年3月20日、冷凍食品の家庭向け宅配を始める。3日後、英国はロックダウンに入った。注文が、一気に押し寄せた。
間一髪だった。会社の口座に残っていたのは数千ポンド。吉村個人の資金は尽き、社員の社会保険料も払えていなかった(のちに完済)。1週間遅れていたら、会社は残っていなかった。
最初に注文したのは、弁当時代の客だった。顧客管理システムには、5年分のメールアドレスが残っていた。無駄にしたかと思った5年間が、会社を救った。
「そういう意味では、5年間はつながってはいるかなと思いますね」
手応えは、すぐに来た。
「ピボットした後、すぐに『これはいけるかもしれない』と思いました。注文も入ってくるし、お客様の課題の解像度がすごく高く見える。打ち手が、当たっていく。お客様がフィードバックですごくいいコメントをしてくださる」
のちに吉村は、Xにこう書いている。
過去の努力の全てが今に続いているんだな、と思います。2019年、僕は個人にも会社にもお金は一切なく、社会保険料も滞納せざるを得ず、狭くて暗い1部屋にトロリーを4台入れて歩くところもないところに住んでいました。だから、本当に食べたいものが食べられるだけで元気が出ることが身にしみてわかる。 — Toshihiro Yoshimura🇬🇧🇫🇷 (@ToshiYoshimura) January 15, 2025 https://x.com/ToshiYoshimura/status/1879498077742268428

第6章 製造機能を持つオンラインスーパー
「簡単にいうと、製造機能を持つオンラインスーパーです」
高架下のオフィスの奥には製造スペースがあり、冷凍の刺身、惣菜、弁当を自社で作っている。米や調味料などは仕入れて販売する。2021年には、配送地域を英国全土へ広げた。
頭上を、電車が走る。「うるさいですよ」と吉村は笑う。

なぜ、実店舗ではないのか。
実店舗は、近くに住む人の需要に合わせて品ぞろえを決める。買う人が少ない食品は、棚に並びにくい。オンラインなら、各地に散らばる需要をまとめて受け止められる。仕入れでそろわない味は、自社で作る。販売だけでなく製造も担うのは、母国を離れて暮らす人が食べたいものを届けるためだ。

商品化の最終判断は、今も吉村が下す。「イギリスで誰よりも日本食を食べていると思います」と笑う。ただし、味にNGを出すことは少ない。
「WASOのシェフは経験豊富で、ミシュラン二つ星の料理長を務めた人もいる。とてもよく考えられているので、味に対して言うことはないです。ただ、食品が一般的なニーズから離れているなと思ったら伝えます。懐石料理と家で食べる料理は違うように」
味の軸を聞かれると、吉村はこう答える。「奇をてらわないことです。当たり前のものを、当たり前に出す」。解決したいのは、そもそも食べたいものが食べられないという課題だからだ。
人気商品は手巻き寿司用の刺身や米、豆腐、調味料など。自社製造では、おせちやお食い初めセット、握り寿司、ぜんざい、子供向けのハンバーグやカレーなど、現地では手に入りにくい食品もそろえる。
キッチンは、魚と野菜で作業場所が分かれ、まな板は肉、魚、野菜と用途ごとに色が決まっている。キッチンマネージャーによれば、新商品は毎週2〜3種類。冬場は一つの商品を一度に100人前つくり、それでも2〜3週間で売り切れる。


2025年には、英国で香港の食品を扱うオンラインストアを開いた。
「日本人は6万人。香港人は30万人、イギリスにいるんです。しかも、この5年で香港人は10万人以上増えている。増加度が高いとインフラが追いつかない。そこに新たに提供する余白が生まれる。香港スーパーはオンラインで1店舗しかなく、供給がまだ追いついていなかった」

扱う領域も広げた。2024年に日本食品の自社輸入を、2025年には薄切り肉など輸入が難しい品目の自社加工と、飲食店・小売向けの卸売を始めた。購入者数は2年で約4.5倍、販売品目数は約3.7倍になった。
サービスの水準も上げた。ロンドンの対象地域では、午前8時30分までの注文をその日のうちに届ける。日本と英国の時差を生かし、カスタマーサポートは24時間体制だ。
社長が自ら配達に出る理由を、吉村はこう話す。
「今でも、ドライバーのトラブルで届けられないときは、自分でお届けすることがあります。それが本当に社長の時間の使い方として正しいのかはわかりませんが、『一食を届けることは諦めない』という方針なので、夜9時になってでも自分で届けています」
配送の速さや冷凍状態、梱包の丁寧さを評価する声は、利用者のX投稿にも見られる。
雛祭りの食材を注文したイギリスの利用者は、WASOを「救世主」と呼ぶ。
雛祭りの食の買い出しを昨日までしてなかった事に焦り、そんな時の救世主・Wasoさんのお刺身(シメサバ以外)と和菓子を注文🎎 配達がAmazon 並に早いから本当に助かりました🥰 大トロとホタテが最高過ぎた… pic.twitter.com/d304k0coFF — Jem🇬🇧イギリスで子育て👨👩👧👦 (@jemtyco) March 3, 2026 https://x.com/jemtyco/status/2028942898826260986
フランスの利用者からは、冷凍配送とサポートへの感謝の声も届く。
WASO、すごいですよね。カッチンコッチンで納豆と讃岐うどんが地方に届く。クール便ないのに…。そして、何かあった時の対応が丁寧で涙が出ます(普段、迅速親切なサービスにお目にかかることが少ないので!)。この国で生きていけるかも、と希望を与えてくれたWASOバンザ〜イです! — 吉野まのん@新たな目標探し中 (@ManonYoshino) September 18, 2026 https://x.com/ManonYoshino/status/2100963186505892006
フランスの地方に暮らす別の利用者は、梱包と品ぞろえに太鼓判を押す。
wasoという日本食品の宅配会社をお友達と頼んだ。前日告知でも200€以上の注文となって、昨日子供達と宅配を始めた。梱包完璧✨品揃え大満足のフランス地方暮らしの味方です。まわし者ではありませんが本当にいい仕事されております☺️ — レオナルドマイコ🇫🇷🇯🇵 (@maikomuratakkk) May 22, 2026 https://x.com/maikomuratakkk/status/2057741612189421956
吉村自身も、WASOに込める思いをXに書いている。
イギリスの本当に遠方にも日本人の方がさまざまな理由で住まれています。 諦めていたたくさんの日本食が食べられるようになって、涙が出る、とメッセージがきます。 昔家族と食べていたもの、母国の本当に好きな食べ物、そんなものが食べられたら、あと一歩人生頑張れる、本気でそう思う。 — Toshihiro Yoshimura🇬🇧🇫🇷 (@ToshiYoshimura) January 15, 2025 https://x.com/ToshiYoshimura/status/1879497941209215339
第7章 一カ国行けば、あとは同じ
2026年2月、WASOはフランスに上陸した。候補はドイツとフランス。市場の大きさに加え、最後の決め手は人だった。
「ターゲットとなるお客様がどのぐらいいるかと、自社の人材で、その国で責任感を持ってやり遂げてくれる人がいるか。フランスには、ずっとフランスに行きたいと言っていた古くからの社員がいたので」
フランスの客の定着率は、ロンドンよりも「圧倒的に高い」。パリの人々がバカンスに出る8月にも、注文は伸び続けた。
フランスの事業は毎月20%ほど伸びている。次に控えるのはドイツだ。
多国展開はコストがかかる。その意思決定を、どう考えているのか。
「多国展開に関しては、そこまで大きな意思決定ではなかったです。」
「日本で事業をやっていて、そこから海外に行くのは、大きなチャレンジだと思うのですが、僕の場合、イギリス展開がそもそも海外展開だったので、そこから、フランスに展開する心理的なハードルは低かったですね。一カ国行っちゃうと、その後は大体分かるんじゃないですかね」
取材時点で、フルタイムのスタッフは約50人。ドライバーやパートタイムを含めると約110人になる。ロンドンのほか、日本に5人、パリに4人が働く。日本食は日本の食文化に、香港の食品は香港の食文化に通じた人が担当するなど、扱う食文化を深く知る人を採用してきた。
「これから、韓国料理なら韓国の食文化に詳しい人が、トルコ料理ならトルコの食文化に詳しい人が入ってくる。よりグローバルな会社になっていくと思います」
目標は、1年に1カ国。食のジャンルも、1年にいくつか増やしていきたいという。見据えるのは、日本食の先だ。国際結婚や海外への挑戦で母国を離れ、「食べたいものが食べられない」人は世界中にいる。
「世界のどこででも、その方々の母国の食べ物をお届けするインフラを作ろう」
エピローグ 自分を信じるための積み重ね

海外に出る前の自分に、一言かけるとしたら。
「『諦めるな』だけですね。」
「世の中では、成長せずに延命をし続けている『ゾンビスタートアップ』のような表現がありますが、気にせずとことんまでやればいいと思います」
諦めない姿勢は、どう身につけたのか。
「先天的なものもゼロではないとは思いますが、後天的にも鍛えられる部分はあると思います。僕はいつも、ピンチがあったら、それをチャンスと考えるようにしています。何か変化が起きるということは、必ず何か機会が生まれる。すごく優秀なシェフが辞めます、となったら、『じゃあ、その人に依存しない仕組みを作ろう』となる。会社の売上が落ちたら、会社を改善するきっかけになる。売上が落ちていないのに『コストを削って筋肉質にしよう』とは、納得しにくいですよね。でも本当に危ないときは、みんなも理解してくれる」
オフの日は、ない。誘われれば出かけるが、誘われなければ仕事をする。土日も会社に行く。週7日だ。週末にしか会えないパートタイムの仲間もいる。「まだまだ今は道の途上なので、毎日顔を見せています」
ただ、本人はこれを努力とは呼ばない。創業のころから、知人が「すごく頑張っていますね」と声をかけても、返ってくる答えは同じだった。「頑張ってないです。普通です」
別の場では、こう語っている。
「小さなことでも毎日一つずつ、何かを積み重ねることが本当に大事なんじゃないかな」
サッカーの試合に出るために重ねた練習。熱があっても踊り続けた留学先の1週間。5年間続けたチラシ配り。自分を信じる根拠を、吉村は日々の積み重ねでつくってきた。
今後の目標を聞くと、吉村は迷わずこう答えた。
「トヨタ、ソニー、ユニクロみたいな会社を作ります」
「たとえ今はその可能性が高くなかったとしても、それを信じて、そこに向かってやっていくことは大事じゃないかなと思います」
自分だけは、自分を見捨てない。ロンドンの冬にカートを押しながら決めたことを、吉村はいまも続けている。
取材音声(約 44 分)
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