
アフリカの農村は最後のフロンティア——収入最大300倍を実現するDots for大場カルロス
アフリカ3カ国700村で、通信、スマートフォンや商売道具の分割販売、デジタルワークを届け、村で暮らす人の所得増を助ける大場カルロス博哉。継続利用者がゼロになった動画サービスから今に至る歩みと、農村ビジネスの実務14項目。(取材・文:グローバルファウンダーズ編集部)
旅人は、30億人の市場を目指す
プロローグ|なぜ動画サービスは利用されなかったのか?
2021年、ベナンの農村に設置した最初の「デジタルハブ」は、ソーラーパネル、市販のWi-Fiルーター、動画コンテンツを保存したパソコンを組み合わせた仕組みだ。インターネット回線がない農村でも、ハブに接続すれば動画を視聴できる。カルロスは、通信環境の乏しいアフリカ農村には、このサービスへの需要があると見込んでいた。

スイッチを入れると、大勢の村人が集まり、一日中動画を見た。ほぼ全員がお金を払った。「お金を払ってでも使いたい」という需要が確実にあった。
ところが数週間後、継続利用者はゼロになった。所得につながらない娯楽へ継続的に料金を払う余裕は、村の家計にはなかった。
「動画を見せる通信サービスにニーズがある」という仮説は正しかったが、ビジネスとしては成り立ちがたいことが最初の村で分かった。それでもカルロスは撤退せず、「なぜ使われたか」ではなく「なぜ続かなかったか」を確かめていった。そして「どのようなサービスが求められているか」を考え抜いた。
その問いの先に、現在のDots forがある。2025年までにベナン、セネガル、ザンビアの500村へ展開した。アクセス可能人口は推定約100万人となり、金融サービスの融資回収率は97%に達している。
だが、カルロスが目指すのは、通信や金融サービスの提供そのものではない。アフリカの農村で暮らす人たちの人生の選択肢を増やすことだ。
カルロスは、アフリカの農村で暮らす人々が、長く二つの選択肢を迫られてきたと捉えている。収入を得るために都市や国外へ出て、家族と離れて暮らすか。家族と村に残る代わりに、貧しさを受け入れるか。
「村に住みながら、家族と一緒にいながら、それなりの収入を得られる。その第三の選択肢をつくりたいんです」
英語すらほとんど話せなかった25歳、父の死後シングルマザーだった母の死、100カ国を超える旅、Amazon、リクルート、タイ子会社の経営、タンザニア農村での新規事業を経て、43歳で起業した。一見ばらばらな経験は、振り返れば西アフリカの村での事業へすべてつながっていた。気づけば、ばらばらだった経験の「点」が一本の道としてつながっていた。
第一章|知らない場所に行くのが好きだった子供時代(1978〜2004年)

1978年、大場博哉は茨城県小川町(現・小美玉市)に生まれた。
子どもの頃から、知らない場所へ行くのが好きだった。
父親の運転する車に乗ると、「ここを左に曲がったら、どこへ行くの?」と頼み、いつもとは違う道へ入ってもらった。学校へ自転車で向かうときも、わざわざ知らない道を選んだ。遠回りになっても、景色が変わる方が面白かった。
「地理的な好奇心もありますし、知的な好奇心もあります。自分のアイデンティティは、たぶん『生涯旅人』なんです」
その言葉どおり、カルロスはのちに100カ国以上を訪れる。しかし20代前半までは、国際的なキャリアとは無縁だった。
12歳頃に父を亡くし、教師の母に育てられた。1990年代の茨城の田舎町では、インターネットはまだ身近ではなく、世界の広さを知る手段も限られていた。筑波大学を卒業後、就職氷河期のなか、地元の飲食チェーンに入社。店舗マネジャーとして、休日もなく朝6時から翌朝4時まで働く日が続き、約2年で体を壊した。
25歳の頃、教師だった母が急逝した。葬儀には、多くの教え子が訪れた。
母が遺したものは、通帳の残高ではなく、多くの人の中に生きていた。母は、これほど多くの人に何かを残した。では、自分は死ぬときに何を残せるのか。この問いが、その後のカルロスを動かすことになる。
第二章|一貫性のなかったキャリアが繋がっていた(2004〜2020年)
人生を仕切り直すと決めたカルロスが就いたのは、国際業務の仕事だった。文部科学省所管の独立行政法人で、多国間の国際研究協力の枠組みづくりと運用に取り組んだ。英文メールを1通書くのに1時間かかり、上司に真っ赤になるほど修正された。
カルロスは、語学学習に時間を投じ始めた。駅前留学で英語を週3回学び、1年後にはフランス語、そのさらに1年後にはスペイン語を加えた。一時期は3言語を同時に学んでいた。
「話せる言語が増えると、旅人として行ける地図が広がるんです」
2012年、33歳で、UC San DiegoのRady School of ManagementへMBA留学した。中南米に近い立地も、大学を選んだ理由だった。休暇のたびに中南米を旅し、ラテンアメリカ系の友人たちの間で使い始めたスペイン語名が「カルロス」だった。以後、この名前は本名の一部のように定着していく。
休暇のたびにバックパックを背負い、途上国の地方を選んで歩いた。2013年には政変下のカイロで現地の人々やエジプトへの留学生とルームシェアをした。今のニューヨークのマムダニ市長ともこの時一緒に住んでいたりもした。
キューバのハバナでは、限られたWi-Fiスポットに人々が集まり、月収の3割近くを接続料に費やす姿を見た。
この光景を見て、カルロスは、通信がない場所にこそ「世界とつながりたい」という需要があると感じた。
このとき、Dots forの原型となるアイデアが芽生えた。しかし、当時はルーターとスマートフォンが高く、採算が合わなかった。カルロスはアイデアを胸にしまい、キャリアの点を打ち続けた。
帰国後のキャリアは、一見すると脈絡がない。Amazonではデータ分析とプロダクトマネジメントを経験し、リクルートではレストラン向けPOS「AirREGI」の欧米展開を担った。
「アメリカとかヨーロッパのレストランに飛び込みで入って、『このシステムを使ってください、セットアップは全部自分でやりますから』と。客席にタブレットを置いてWi-Fiに繋いだり、床を這いながらLANケーブルを引いて厨房に置いたネットワークプリンターに接続するみたいなことをやっていました。あれが今、村でそのまま生きているんですよね。村での分散型通信インフラの設置も、LANケーブルや無線Wi-Fiでネットワーク設定をしてたりしますから」
C Channelでは海外事業の執行役員としてタイに駐在し、現地法人の立ち上げから経営まで従事した。日本人はカルロス一人で、タイ語も読めず、話せもしなかった。「結局、タイ人に任せないと全然スケールしない」。現地の右腕・左腕と3人一組で経営を回した経験は、のちにアフリカで組織をつくる原型となる。
「これらの経験は、いま振り返ると、スティーブ・ジョブズのいう『Connecting the Dots(点と点をつなぐ)』なのか」と尋ねると、カルロスはこう答えた。
※「Connecting the Dots」は、今の経験が将来何の役に立つかはその時点では分からなくても、後から振り返ると、無関係に見えた経験がつながり、人生や仕事を形づくっていたと分かる、という意味。
「そのタイミングで面白そうと思ったことをやっていたのを、後から振り返って見るとつながっていた、という感覚です。今、当時の経験が全部活きています。何より、知らない道探しが、広がり広がって、今はアフリカまで来ている。見た目はバラバラだけど、『一生旅人』という自分のアイデンティティに、全部つながっているんですよね」
社名のDots forには、あえて目的語がない。「Dots for Africa、Dots for Benin、Dots for 自分——何でも入れられる空白なんです」
会社が将来、アフリカ以外へ広がってもいい。社員や利用者が、自分なりの「誰のため」「何のため」を入れてもいい。その空白は、可能性を閉じないための余白でもある。
第三章|バイクの後ろで、アフリカへの事業を誓う(2020〜2021年)
2020年、カルロスは未電化地域でLEDランタンをレンタルするWASSHAに新規事業マネージャーとして入社し、タンザニアの農村を回り始めた。立ち上げたのは、バイクタクシー運転手向けの割賦購入事業だ。自分のバイクを持てない運転手は、レンタル料を払い続けても資産が残らず、貧困から抜け出しにくい。そこで先に運転手がバイクを買えるように資金を融資し、その後、事業の売上から返済をできる仕組みを作った。支払いの仕組みを変えると、運転手は自分のバイクを持てるようになり、使わない時間に人へ貸して副収入を得る人も現れた。
課題は能力の不足ではなく、資産や信用へのアクセスの不足だった。カルロスは、村人たちが人生の二者択一を迫られていると考えた。
「一つは、誰かが町や他国へ出稼ぎに行く。家族と離れ離れになるけど、お金は稼げる。もう一つは、それを諦めて生まれ育った村で家族と過ごす。でも貧しい。この二つしかない中で、僕らは三つ目の『村にいながら、それなりにちゃんと稼げる』という手段を提供したいんです」
タンザニアの荒野をバイクタクシーの後ろに乗って走っていたとき、カルロスは「この世界で生きていく」と心を決めた。
もうひとつ、決めなければならないことがあった。彼は当時43歳。生まれたばかりの子どもがいた。だが妻は、結婚の頃からこう言っていた。「45歳までは、好きなことをしなさい」
「今転職すると、たぶん45歳というリミットを超える。死ぬときに『あのときチャンスがあったのに起業できなかった』と思うのは嫌だから、『45歳になる前の最後の機会としてアフリカで起業したい』と話しました。約束どおり『45歳まで好きにやっていいよ』と言ってくれたので、『じゃあ、やります』となったんです」
「妻と出会ったのは、僕がアメリカから帰ってきた直後でした。月の半分はアメリカやヨーロッパに出張し、時間があれば一人でバックパックを背負ってどこかへ行く。妻は『結婚しても日本にはいないだろうな』とは、ずっと思っていたみたいです。ただ、アフリカだとは思っていなかったでしょうね。私も、結婚当時に自分がアフリカで起業するとは思ってなかったです」
2021年10月、WASSHA時代の同僚と株式会社Dots forを共同創業。資本金は300万円だった。
起業の地には、土地勘のあるタンザニアではなく、一度も訪れたことのないベナンを選んだ。カルロスが起業時に確認した条件では、フランス語が参入障壁となり、英語圏より競争が少ない。ベナンを含む14カ国で使われる共通通貨「CFAフラン」はユーロとの固定相場で、外国資本のみでの法人設立も可能だった。隣には巨大市場ナイジェリアがある。「縁」ではなく「勝ち筋」で選んだ市場だった。

第四章|消費ではなく投資に変える事業(2021〜2024年)
創業に先立ち、カルロスは現地で協力してくれるベナン人を探した。見つけたのは、日本政府の奨学金プログラム「ABEイニシアティブ」で日本の大学院に留学していた人物だった。まもなく卒業して帰国するというその人に、カルロスはこう持ちかけた。
「君が卒業してベナンに戻ったら、1カ月後に行くから、いろいろアレンジしておいてもらえないかな」
そのベナン人の実家の村が、最初のテストの舞台になった。冒頭で紹介した村である。
村への入り方には、いまでは一定の型がある。まず、村長の家をアポイントなしで訪ね、「あなたの村にこの仕組みを導入して、サービスを提供したいのですが、いいですか」と尋ねる。
「基本的にはOKと言われます。村側の持ち出しはゼロで、何も払う必要がない。サービスを使いたい人だけがお金を払えばいいので、『どうぞ』と言ってくれます」
次に村長から、Dots forのエージェント候補となる住民を紹介してもらう。候補者の家に「デジタルハブ」と呼ばれるDots forが開発した分散型通信設備を置き、太陽光パネルをつないでスイッチを入れる。
導入は半日で終わる。しかし、それはスタートラインにすぎない。最初の村で利用者がゼロになった経験が、そのことを教えた。
冒頭でもあった最初の実験で突きつけられたのは、「お金を払ってでも使いたい」という需要があることと、料金を払い続けられることは別だという現実だった。
動画は楽しい。しかし、所得につながらない娯楽へ継続的に料金を払う余裕は、村の家計にはなかった。問いは「通信をどう売るか」ではなく、「通信を使って所得をどう生むか」へ変わった。
ここからDots forは、村のお客さんが離脱する理由を一つずつ解いていった。
理容や靴づくり、ミシンの使い方などの職業訓練動画と、子ども向けのフランス語学習を加えると、技術を学んで開業したい人が現れた。
しかし、今度は開業資金がない。そこで、スマートフォンや商売道具の分割販売を始め、返済実績などを踏まえて、バイク、ミシン、冷蔵庫といった「所得を生む資産」も提供した。
それでも村内経済には上限がある。そこで、AIアノテーションやゲームデバッグなど、日本を含む村外の企業の仕事をつないだ。
カルロスは、一人の利用者の例としてこう説明する。「月に1万円ぐらいの稼ぎだった人が、スマホで日本の仕事をして1時間2,000円。5時間やったら1カ月分を稼げるようになりました」

通信は目的ではなく、所得や機会につなげるための入口だった。カルロスは、その位置づけをこう語る。
「僕らはデジタル包摂をやっているんだけど、それは目的じゃなくて手段なんです。」
「デジタル包摂は、金融包摂、エネルギー包摂、教育包摂——他の『~包摂』を加速させる。今まで1対1や1対数人でしかできなかったことが、デジタルなら1対無限大でできるから」
事業をどうやって広げていったのか?と聞いた。その答えは、信頼だった。
「各村で、まずは一人の成功者を出すのが大事なんです。皆さん最初は懐疑的で、自分に何かできるとも思っていない。でも収入が上がってバイクを所有できた人が一人、二人出ると、『自分もやってみようかな』となる。周辺の村には親戚や家族がいっぱいいるので、口コミで広がっていく。『やっとうちの村にも来たんだ、やらせてくれよ』となっていくんです」

この5年間で最もうれしかった瞬間を尋ねると、カルロスは数字ではなく、チームの変化を挙げた。
「自分たちがやったことで、『私の生活は劇的に変わったよ』とお客さんが言ってくれる。それを見た村出身のチームも、『自分が関わることで、隣人や兄弟の生活が変わった。すごいことができているね』と感じている。それが、とてもうれしいですね」

第五章|どっちにも手が届かない(2023〜2026年)

事業は伸びた。しかし、資金調達はそれに追いつかなかった。
日本法人でありながら、事業の中心はアフリカ農村にある。この構造が、資金調達で「どっちにも手が届かない」状態を生んだ。
「日本のVCからは『マーケットが海外だから、投資判断が難しい』と言われる。融資も『会社は日本だけど、事業は海外だから実態が見えない』と言われる。一方、アフリカに出資しているヨーロッパの投資家に行くと、『日本の会社だと、日本の法律で出資契約が必要。難しい』と言われる」
本社を欧州へ移す「フリップ」には数千万円規模の費用が見込まれ、日本の融資や補助金を利用しにくくなる可能性もある。カルロスは、「フリップをやるのか、やるとしたらいつなのか、というのをここ3年ぐらいずっと考えています」と話す。
創業から約5年で、「もう辞めよう」と思ったことが3回ある。それは、事業がうまくいかなかったときではない。いずれも、上記のような資金調達の課題が理由だった。大きな市場があり、数字もついてきているのに、構造上の問題から出資を受けるのが難しい。
そんな苦労をしてでも諦めないのは、なぜか。
「やっていて楽しいんです。僕らがやったことで『生活が変わりました』と言われるのは楽しい。同時に旅人として、知らない世界にチャレンジできることも楽しい」
カルロスにとって起業は、旅なのかもしれない。
日本に比べ、アフリカでは予定どおりに進まないことが多い。バスは時刻通りではなく、乗客がいっぱいになってから出る。エンジンがかからなくなったり、タイヤがパンクしたりで、途中で立ち往生するなんてのも日常茶飯事。それを異常事態と捉え続ければ、毎日が消耗になる。カルロスは、予想外の出来事も旅の一部として受け止めている。
体を保つため、20年ほど続けるブラジリアン柔術に取り組み、子どもとはカポエイラをする。睡眠を取り、移動の時間に考える。片道25時間以上のフライトを、むしろ休息の時間と捉えることもある。
最近も、「1泊7日」の移動をこなした。もともと体が強かったわけではないが、長距離移動や環境の変化に少しずつ体を慣らしてきた。「体力は慣れの部分も大きい」とカルロスは言う。
大変な出来事は無数にある。だが、まだ動けるうちは、それを「やめるほどの大変さ」とは捉えない。
「指は10本あるし、両目は見えるし、足も2本あって歩ける。まだ全然やれる」
カルロスを支えているのは、アフリカの移動に耐えられる体力だけではない。旅人としてなんでも楽しめる強靱なメンタルもあるのだろう。
第六章|家族と事業と。ー永遠のジレンマ
2023年、カルロスは妻と2人の子どもとともにベナンへ移住した。
現地に住むのは、顧客の行動や社員の判断を理解し、チームに本気度を示して信頼を築くためだ。
「海外事業は、外国人である限り、お客さんを100%理解することはできません。だから現地の右腕、左腕が必要です。でも、全部を現地の人に任せて、自分は日本にいる。それでうまくいくほど簡単でもない。リーダー自身が現地にいて、二人三脚で進める必要があると思います」
毎年夏、妻と子どもが日本へ2〜3カ月ほど一時帰国する間、カルロスは一人でアフリカ各国を回る。出張に時間を使える一方で、家族の経験を共有できない期間でもある。
「1、2カ月後に子どもに会うと、少し別人になっているんですよね。先日4歳になった下の子の誕生日に、私はこれまで一度も一緒にいたことがない。妻から送られてくる夏休みの写真を見て、『私は、今まで一度も夏を息子と一緒に経験したことがない』って」
家族と過ごしたい。一方で、事業にも時間を注ぎたい。「このジレンマは、ずっと感じています」とカルロスは話す。
海外で事業を営む起業家にとって、家族との時間をどう確保するかは、避けて通れない課題なのかもしれない。2026年9月からは、同じく事業を展開するセネガルに家族で移住した。
第七章|アフリカの事業は簡単
Dots forは、利用者数や金融サービス、返済、仕事の成果を「Impact Report」として公表している。
カルロスが最も驚いたのは、レポートが社外への発信以上に、まず社内へ変化をもたらしたことだった。
現場の社員は、自分が担当する村や業務の成果は把握できても、別地域の利用者の声や他チームの成果までは見えにくい。今回、顧客の言葉と全社の数字を一つのレポートにまとめたことで、社員は自分たちの仕事の広がりを初めて俯瞰できた。
「数字が伸びていることも、お客さんがどう変わったかも、社内の人が一番喜んでくれた。なぜこの仕事をするのかが、以前よりはっきりしたと思います」
2026年3月31日時点で、同社はデジタルサービスへのアクセス可能人口を93.3万人超と公表している。これは展開地域の人口を基にした到達可能規模である。有料の必須サービス利用者は3.9万人超、金融サービス利用者は8,700人超である。

同社は2025年までに500村へ展開を広げ、同年8月にはブラザー工業と資本業務提携を締結した。2026年には、FINOPITCH 2026の国内部門Grand PrizeとDENTSUSOKEN Awardも受賞している。

社会起業だから利益を後回しにしてよい、という空気が国際開発業界にはあるが、カルロスは、その考えに否定的だ。
「そもそも、自分のことを社会起業家と思っていない。私は起業家ですし、Dots forは営利企業で、我々は純然なるビジネスをやっているつもりです。利益が出なければ、インパクトは続かない。ビジネスとして成立することが、持続するインパクトの出発点です」

実際、Dots for は事業としての結果を出している。金融サービスの融資回収率は97%と非常に高い。
この高い回収率を支えているのが、Dots for独自の与信判断だ。村で継続的に顧客と接するなかで得られる自社ならではの情報に加えて、デジタルハブから取れるデジタル情報を判断材料にしている。
オンラインに存在しないオフラインの地域の情報を、デジタルデータと顧客からの声を現場で蓄積できることが、高い回収率を支えている。これは、現場に入り込んでいるDots forならではのデータだ。カルロスは、その蓄積がAI時代の競争力の一つになるとみている。
カルロスは競争が少なく、自社の強みを発揮できる市場を戦略的に選んできた。西アフリカへの進出も、農村への集中も、その判断の延長線上にある。
農村は、都市中心のサービスから取り残されてきた人々が暮らす一方、大きな可能性を秘めた、競争の少ない10億人超の巨大市場なのだ。
「入りやすい市場と、勝ちやすい市場は違います。英語が通じて、制度が分かりやすい国には、みんなが来る。その分、競争が激しい。そこへ行く理由が『入りやすいから』だけなのか。それとも、勝てる理由があるのか。そこは分けて考えた方がいい」
そして、その農村でさらに独自データと独自ネットワークで競争力を高めている。
Dots forが築いてきた参入障壁は、地方まで運営を届ける力、現地語を話すチーム、村長とエージェントのネットワーク、オフラインの農村でもDots forだけが取得できるデジタルデータにある。時間のかかる現場運営の積み重ねが、後発との差になる。
Dots forが農村市場で実現しようとしているものは、金融サービスにとどまらない。
将来構想の一つとして、カルロスは、Googleなども十分にカバーできていないアフリカの地域言語を翻訳できる仕組みを構想している。文字になっていないオフライン地域の言語音声データを、デジタルハブを使って365日リモートで集めてコーパスをつくり、フランス語や英語、日本語、中国語などとの翻訳を可能にするものだ。実現すれば、教育や行政、商取引へのアクセスが広がるとみている。現在は、研究者との連携や予算の確保を前提に検討している段階だ。
「アフリカの事業ってすごい簡単だと思っているんですよ」とカルロスは言う。
日本では課題を見つけるところから始める必要がある一方、アフリカでは大きな課題がすでに顕在化しているため、解決策に集中しやすいからだ。
アフリカで見つけた大きな課題にカルロスは今日も取り組む。そして実際に彼らの生活を変えはじめている。

エピローグ|アフリカのその先にある知らない世界
2026年春、カルロスは、世界最大級のモバイル関連イベント「MWC Barcelona」の会場にいた。Dots forがGLOMO AwardsのTech4Good部門「Digital Inclusion & Usage-Gap Impact」を受賞した華やかな場で、彼が覚えたのは違和感だった。

カルロスは、会場を「オンラインにつながっている人たちだけで、オンラインにつながっている前提でパーティーをやっている感じ」と表現した。そして、そのパーティーの外にいる「デジタルから取り残された人々」は、アフリカを含む世界中で約30億人と捉え、「30億人って、全然ニッチじゃないじゃないですか」と続けた。
一方、国連が主催してジュネーブで開催されたAI for Good Summitでは、デジタルデバイドの解消が議論されていたが、こちらはこちらで先進国の人たちが、現場感がない議論を延々としているだけと感じた。「この人たちは、その議論の現場に行ったことあるのだろうか?」と。
カルロスが自らに課すのは、その議論を現場の実装へつなぐことだ。村へ入り、機器を設置し、使われ続ける仕組みを事業として運営する。Dots forは、その役割を担おうとしている。
カルロスが見据えるのは、アフリカだけにとどまらない。世界の農村に広がる巨大な30億人規模の市場だ。
起業前の自分に声をかけるなら、と尋ねると、カルロスは少し考えて笑った。
「大変だけど、楽しいよ、と。あとは、日本にこだわらなくていいよ、とは言うと思います」
幼い日、父の運転する車で「ここを左に曲がったら、どこへ行くの」と聞いていた少年は、いま、西アフリカの農村へ続く道を走っている。
知らない道へ入り、知らない言葉を覚える。現場で仮説が外れたら、次を試す。完成した地図に従うのではなく、歩いた後に地図を描く。それが、カルロスのいう「一生旅人」の生き方なのだろう。
Dots forの「for」の後ろは、今も空白のままだ。そこに無限の余白を残したまま、カルロスは次の知らない道へ進んでいく。
取材音声(約 45 分)
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