
世界最高峰の博士課程を3カ月で離れ 微生物で人の悩みを解決する Taxa Technologies 福永祐一
世界最高峰のマックス・プランク脳科学研究所の博士課程を約3カ月で離れ、シリコンバレーでバイオテック企業を共同創業した福永祐一。約2年で研究開発から製品化まで進めた、その意思決定の型と、海外起業の実務10項目。(取材・文:グローバルファウンダーズ編集部)
Prologue 10ドル札を入れた手紙
2024年初頭、サンフランシスコ。事業のチャンスは見えていた。しかし、学生時代に起業した福永たちには、投資家とのつながりが乏しく、資金調達は難航していた。
そこで、福永は一通の手紙を書いた。
宛先は、母校ウィリアムズ大学の卒業生名簿で見つけた住所。相手は、同窓のスタートアップ関係者のなかでも指折りの著名人だった。面識も、紹介者もない。頼りは、名簿に載っていた住所だけだった。
封筒には、手紙とともに、使い込まれた10ドル紙幣を一枚入れた。
「これが、共同創業者が最初に稼いだお金です。あなたに託したい——そんなことを書いた記憶があります」
もちろん、文字どおりの「最初の売上」ではない。一種の演出だ。福永も「相手も嘘だと分かっていたでしょう」と笑う。それでも、機転と熱量は相手に伝わった。
やがて、相手から電話がかかってきた。
どんな事業をしているのか。なぜ、ウィリアムズでこの会社を始めようと思ったのか。淡々とした質問が続いた。最後の言葉は、驚くほど短かった。
——出資するよ。
この出資が、ドミノの最初の一枚になった。「彼が投資しているなら」と、VCやエンジェル投資家が連鎖的に動き出す。5カ月間止まっていた資金調達は、最後の1カ月で一気に決着した。目標150万ドルを大幅に超過し、集まったのは250万ドル。2024年2月、Taxa Technologies(Taxa)はプレシード調達を完了した。
この話だけを聞けば、ひらめきで投資家の心を動かしたように見える。しかし、その背景には、福永が培ってきた意思決定の型があった。
選択肢を洗い出し、賭けるべき一手を見極め、決めたら手段を尽くす。
このときも、まずは出資の可能性がある人を網羅的に洗い出し、鍵を握る人物を見極めた。相手を決めると、手紙や10ドル札の演出など、思いを届けるためにできることを尽くした。
その意思決定の型は、大阪の中学生がゲームのコントローラーを置いたころから育っていた。

第一章 マサラタウンを出る

中学時代の福永は、1日6時間ゲームをすることもある子どもだった。
FIFAに熱中する息子を心配した両親は、三者面談で担任に相談した。そこで教師が語った言葉が、福永の人生観を変えた。
「ゲームが面白いのはわかる。でも、ゲームの中でレベルアップしても、現実のお前には何も返ってこない。人生をゲームだと考えて、現実でレベルアップすれば、もっと面白いことができるようになる」
福永は、今もこの言葉を覚えている。
「英検を取る、大会で賞を取る。そうすると、面白い出会いや次のステージが開ける。ゲームだって、ずっと止まっていたら面白くないじゃないですか。マサラタウンでクルクルしていても、面白くない」
※マサラタウンは、『ポケットモンスター』で主人公が冒険を始める町である。
福永にとって、現実の最初の冒険は海外進学だった。
奈良の進学校・西大和学園に通っていた福永は、国内の大学への進学を考えていた。しかし、中学3年時、学校の留学プログラムで渡ったカナダで、トロント大学へ進んだ先輩の話を聞く。
——海外の大学も、受験できる。
そこで福永は、大学そのものを調べ始めた。日本、米国、英国を含む欧州、アブダビ。それぞれの大学がどんな歴史から生まれ、何を目的とし、どれだけの予算を何に使っているのか。徹底的に比較した。
「アメリカに行きたくて、アメリカの大学を選んだわけではありません。自分にとって大学はどんな場所で、何をしたいのか。そこから逆算すると、たまたまアメリカの大学が理想に近かったんです」
先に国や学校を決めるのではなく、選択肢を広げてから絞り込む。福永の意思決定の型は、すでにここに表れている。
こうして米国の大学への進学を決めたが、西大和学園には前例がほとんどなかった。福永は学校向けの説明資料を自ら整え、担任を説得し、推薦状や奨学金の準備を進めた。
やることは山積みだった。GPAを保つための定期試験、TOEFL、SAT、日本の大学の入試対策。課外活動ではWorld Scholar's Cup、模擬国連、高校生外交官プログラム、弁論大会、学級委員長、スーパーグローバルハイスクールの活動。しかも、通学は片道2時間、往復4時間だった。
「これだ」と決めたら、オールインでやり切る。その性格も、このころから表れていた。

第二章 ギャップイヤーでサイエンスと出会う
高校卒業後、福永は慶應義塾大学経済学部に一学期ほど在籍した。その米国の大学の秋入学までの予定だった。その後、米国に渡る予定だったが、合格した米国の大学が利用予定の奨学金の対象外となり、進学を見送る。
こうして生まれたギャップイヤーの1年を、福永はさまざまな業界の仕事を経験し、自分の将来を探る期間にあてた。福永が得意とする「選択肢を広げる」プロセスだ。
飲食店のビジネスに興味を持ち、ピザを作るアルバイトも経験した。福永によれば、「明確に自分に向いていないと分かった」という。一方、エムスリーでは予防医療の事業開発に関わり、遺伝子検査などのヘルスケア事業に触れた。
「当時は、論文とは何かさえ分かっていませんでした。業界の話を聞くうちに、面白そうだと感じるようになったんです」
文系だった福永が科学に関心を持つきっかけは、大学の講義ではなく、自ら飛び込んだこのインターンでの経験だった。
行動して選択肢を増やし、そのなかから自分に合う道を見つける。福永は「たまたま」で進路を決めるのではなく、自分で進路を切り開いていった。
再受験で合格したのが、ウィリアムズ大学だった。福永はいよいよ米国へ向かう。
第三章 田舎の大学で共同創業者と出会う
2019年8月。福永は、米マサチューセッツ州北西部のウィリアムズ大学へ向かった。
小さな町にある、少人数制のリベラルアーツ大学。Princeton Reviewの学生調査「学生がよく勉強する大学」調査で1位に入ったこともある 勉学熱心な大学だ。課題は多く、娯楽は少ない。初めてキャンパスへ向かった日の気持ちを、福永は「こんな何もない場所の大学へ行くのか、と思った」と振り返る。
それでも、合唱団や地域活動、学生クラブに参加し、自分の居場所をつくった。チェスとボクシングを交互に行う「チェスボクシング・クラブ」では、Chief Food Officer(食事担当)となり、手作りラーメンを提供していた。
そして1年目の寮で、同い年の米国人、Xavier M. Segel(通称Xavi)と出会う。のちの共同創業者だ。

学業では心理学と神経科学を専攻した。コロナ禍で日本に滞在した時期には、理化学研究所脳神経科学研究センターで研究を経験。米国へ戻ると、マウスの恐怖記憶と消去学習の研究に没頭した。
成果は形になった。2022年には米国神経科学会(SfN)で筆頭著者としてポスター発表を行い、同年、Pavlovian Societyの学部生向け奨学金を受賞。2023年には、神経科学分野のPatricia Goldman-Rakic Prizeを受け、同分野で最優秀の評価を得て卒業した。

研究者としての道は、順調に開けていた。
第四章 世界有数の博士課程を離れる
卒業後、福永は修士課程を経ずに、ドイツのマックス・プランク脳科学研究所で博士課程の研究を始めた。同研究所が属するマックス・プランク協会は、多数のノーベル賞受賞者を擁する、世界有数の基礎科学研究機関だ。
福永が進んだ脳科学研究所では、神経回路から行動まで、脳の仕組みを世界水準で研究している。米国では学部から博士課程へ直接進むこと自体は珍しくない。それでも、修士号を持たない段階で、学部時代の研究実績をもとに同研究所の博士研究者として採用されたことは、福永の研究者としての高い評価を示していた。
しかし、そのキャリアは長く続かなかった。
博士課程への進学が決まったころ、ルームメイトのXaviから起業に誘われた。そこで、福永は約半年にわたり、無報酬で研究開発や事業開発に携わった。ドイツでは自身の研究と、時差を越えた会社づくりを並行した。
だが、両立には限界があった。資金調達の見通しが立ち始めると、Taxaが狙う市場に挑む機会は今しかないと考えるようになった。
在籍から約3カ月。福永は博士課程を離れた。
世界有数の研究所を短期間で離れる決断は、外から見れば「もったいない」と映るだろう。しかし、「こっちだ」と決めたら、全力を注いできた福永にとっては、いつも通りの意思決定だった。
第五章 日焼け止めからワキへ

Taxaの出発点は、デオドラントではなく日焼け止めだった。
最初に検討したのは、紫外線を吸収する微生物の応用だった。しかし、必要なゲノム編集の難度が高い。実現できても、遺伝子組換え生物として輸出入が難しくなる可能性があった。
そこで、標的を体臭へ変えた。
「日焼け止めと比べると、ニオイをつくらない菌のほうが、技術的なハードルは相対的に低かったんです」
創薬から始めなかったのも、同じ判断による。皮膚疾患の創薬は規制が重く、著名研究者や大手企業がひしめく市場だ。「似たような道では勝てない」。規制、技術難度、競争環境を比較したうえで、まずはパーソナルケアに近い領域から技術を社会へ出すことを選んだ。米国のデオドラント市場は8,000億〜9,000億円規模。シャンプーに並ぶ巨大カテゴリーでもある。
タイミングにも恵まれた。先行する皮膚マイクロバイオーム企業の失敗から、避けるべき技術経路が見えていた。市況が冷えたことで経験者を採用しやすくなり、微生物の大量生産コストも、先行企業の事例から見積もりやすくなっていた。
学部生であることさえ、武器にした。
「学部生の研究は、競合になるとは思われません。『研究のために教えてください』と、今なら競合になる会社の方々にも話を聞きに行きました。後輩を育てるような感覚で、いろいろ教えてもらえたんです」
二人が学生寮で会社づくりを進めていたのは、大学4年のころだ。事業の方向は見えた。しかし、本格的な試練はここから始まる。
サンフランシスコへ移った二人を待っていたのは、厳しい資金調達だった。
2023年秋から2024年初頭にかけて、米国のスタートアップ投資は「冬の時代」にあった。資金は生成AIに集中し、時間もコストもかかるバイオ企業への投資は、とりわけ慎重になっていた。
断られる理由は、事業の中身だけではない。ファンドの運用期限、過去の類似投資の失敗、投資家自身の役職変更。創業者にはどうにもできない事情で、検討は次々と止まった。
打てる手は、すべて打った。ウィリアムズ大学の卒業生から、スタートアップに関係がありそうな人物をウェブ上で抽出。見つかった約500人へ、LinkedInのメッセージやメールを送った。インターン時代の恩人や、高校時代に世話になった起業家にも連絡し、紹介の可能性を探った。その延長にあったのが、プロローグの手紙である。
2024年2月、Taxaは250万ドルのプレシード調達を完了した。厳しい市場環境のなかで、研究開発と採用を進める資金を確保した。
第六章 ブランド名のない段ボール
Taxaの技術を平たく言えば、「殺菌ではなく、菌の入れ替え」だ。
脇のニオイは、皮膚の常在菌が汗腺からの分泌物を代謝することで生まれる。そこで同社は、ニオイを生み出さない菌を皮膚に定着させ、原因菌との置き換えを狙う。
2024年5月には、体臭原因菌の遺伝子改変に成功。開発中のSwapは、一度の塗布で約1週間の持続を目指している。
サンフランシスコに研究拠点を設け、本格的に事業を始めたのは2023年11月。それから約2年で、研究開発から生産体制の構築、市場開拓までを進めた。

このスピードを可能にしたのは何か。福永が競争力の核心として語ったのは、遺伝子編集の技術に加え、開発の進め方だった。
「バイオテックは規制産業なので、開発のマイルストーンを明確にして進めます。一方で、スタートアップ的な進め方は主流ではありませんでした。そこで、バイオの業界に、PDCAを速く、安く回す仕組みを導入しました。いわばウォーターフォールの世界に、アジャイルで立ち向かったということです」
さらに、スタートアップ業界と同様にユーザーの声を元に改善を続けた。試作品のユーザーに自ら会いに行き、製品について書かれた投稿を追い続ける。
「何十人、何百人分ものXアカウントを開いて、うちのプロダクトについて、ずっと見ています」
そこで得た気づきを、製品へ反映する。たとえば、「デオドラントを買ったこと自体を、家族にも知られたくない」という顧客がいた。
「ブランド名が入った箱より、ただの段ボールのほうがありがたいという方がいる。研究室にいるだけでは、分からなかった観点です」
2026年9月現在、チームは日本オフィスを含むフルタイム約20人。

研究開発から販売までを一貫して行う組織も特徴だ。候補となる菌の選別からゲノム編集、皮膚への定着、製品の処方設計、パッケージ、ブランドづくりまで、自社で手がける。原料を他社にライセンスするモデルは「極めて汎用的な原料にならないと採算が合わない」。加えて、「企業価値のマルチプルは原料会社よりブランド会社のほうが高い」と福永は判断した。たとえば、この巨大市場では、消費者に直接販売するD2Cブームのなかで生まれた「Native」が、デオドラント以外にも製品を広げ、2024年度に売上高7億ドルを超えるまでに育っている。
かつて同社は、「P&G's worst nightmare(P&Gの悪夢になる)」という表現を掲げていた。化学的な有効成分を中心に築かれてきた消費財産業へ、生物学的な有効成分で挑む。その意思表示である。
支える顔ぶれも豪華だ。一例を挙げよう。
- 科学顧問の本田賢也。慶應義塾大学教授で、腸内細菌と免疫の研究を牽引する研究者だ。
- 取締役のTJ Parker。PillPackの共同創業者・元CEOで、同社は2018年に約7.5億ドルでAmazonに買収された。その後、Amazon Pharmacyの立ち上げを牽引した。
- アドバイザーのSimon Enever。年商約150億円に達した電動歯ブラシD2Cブランド、quipの創業者・元CEOだ。

今後は、デオドラントに加え、アトピー性皮膚炎やニキビなどの治療薬、蚊よけなどへの展開も視野に入れている。
第七章 コミュニティを挑戦の基盤にする
サンフランシスコにいるとき、福永は毎週、ピックルボールの会を自ら開いている。
「この人と仕事をしたいからスポーツをする、というより、スポーツをしていたら仕事につながった、というほうが自然ですよね。アメリカでは、そのような出会いが多いような気がします」

同窓会、ホームパーティー、クライミング、公開イベント。仕事を直接頼むためではなく、同じ場所で時間を過ごす。そこから研究者、投資家、弁護士、起業家との関係が生まれていく。
福永が米国で実感したのは、実力だけを磨いても、機会が自動的に届くわけではないということだ。必要な相手とつながり、自分を信じて紹介してくれる人を増やす力も、同じくらい必要になる。福永は、それを大学時代に学んだ。
ネットワークで意外な接点になるのが、専門外の教養だ。福永は小説を読み、映画や舞台にも触れる。たとえば米国の起業家や投資家から、東野圭吾の小説や黒澤明の映画、オペラ『蝶々夫人』について尋ねられたことがあるという。
教養が採用や投資の合否を決めるわけではない。それでも、利害関係のない会話を生み、相手を知る入口にはなる。
第八章 意思決定のプロセス
福永の経歴を貫くのは、「選択肢を洗い出す」「最悪のシナリオを見積もり、備える」「決めたら、腹をくくってやり切る」という意思決定のプロセスだ。
1 選択肢を洗い出す
福永は、進路でも事業でも、まず選択肢を広げてから絞り込んできた。以下は一例だ。
- 進路に関して、先輩の話や課外活動の経験から、「海外の大学」という選択肢を見つけた
- 進学先を選ぶ際には、世界中の大学を比較した
- ギャップイヤーでは、ピザ店のアルバイトやヘルスケア企業でのインターンを経験し、興味のある領域を探った。この経験がサイエンスへの進路につながった
- 事業の領域を決めるときも、日焼け止めやデオドラントなどを比較し、最も勝ち目のある領域に絞った
2 決めたら腹をくくってやり切る
比較を尽くしたら、選んだ道に全力を注ぐ。「そこが張るべき場所だ」と判断すれば、リスクが大きくても踏み込む。福永は、その姿勢を行動で示してきた。
- 高校時代には、米国の大学へ進むために必要だった課外活動に力を注いだ。学級委員長を務めながらも、高校生活の3分の1を欠席するほどだった。友人関係が悪化する代償も受け入れた。
- 大学で生物学への関心を深めると、文系から理系へ転じ、世界最高峰の研究所へ進むほどの成果を残した。
- 起業に専念すると決めた時は、研究所を約3カ月で離れた。
- ディープテックに最適な場所だと判断したシリコンバレーでは、土地勘がない状態から起業した。
- デオドラントに事業を定めると、スタートアップの開発手法をバイオに持ち込み、わずか約2年で研究開発から製品化まで進めた。
世の中には「それが正しい道」だとわかっていても踏み込めない人もいる。
「ディープテックで起業するなら、シリコンバレーでやることが、論理的には正しい選択であることが多いはずです。それでも、シリコンバレーで起業していない人が多い。本当に事業を成功させるなら、リスクをいとわず、環境も含めて張り切れるかどうか。その胆力は重要だと思います」
3 最悪のシナリオを見積もり備える
もう一つ、福永の意思決定には特徴がある。大きく踏み込む前に、最悪のシナリオを具体的に見積もり、必要な備えをするということだ。
高校時代には、起業に失敗した人へ「失敗とは具体的に何か。借金取りに追われることなのか、小さな部屋へ引っ越す程度なのか」と聞いて回り、起業リスクの実体を確かめた。
留学を決めるときも、「英語が話せれば、日本で最低限の生活はできる」と、最悪の場合に守れる生活の水準を考えた。
必要なら、セーフティネットも用意し、リスクを緩和する。
留学前に慶應へ一学期在籍したのも、博士課程に進みながら起業を準備したのも、その一環だ。起業時も、共同創業者と約半年にわたって相性を確かめながら起業への専念を決めた。資金調達でも、うまくいかない場合に備え、複数のシナリオを用意した。
これは、一見すると、リスクをヘッジした保守的な動きに見えるかもしれない。実態は逆である。最悪のシナリオに備えているからこそ、大きなリスクを取ることができる。いわば、リスクをとるために必要なプロセスだ。
福永はポーカーが好きだという。ポーカーは、リスクをコントロールしながら、賭けるべき局面で大きく張るゲームだ。福永も、リスクをコントロールしながら、高校で前例のなかった海外進学、博士課程を捨てての起業、誰も手がけていない事業へ、大きく賭けてきた。
また、こうした決まった意思決定のプロセスは、失敗したときの心も支えている。
「選択肢を洗い出し、軸を決め、比較して決める。そのプロセスを踏むこと自体が、失敗したときに自分で納得できる意思決定になります」
「『あのとき、やれることはやった』と言えるかどうかは、メンタルにとって重要です」と福永は言う。
Epilogue たくさんバットを振ってきたこれまでとこれから

起業前の自分に声をかけるなら、何と言うか。
「『思ったより、意外とうまくいったよ』と言いたいです。私は意思決定をしたあとで弱気になってしまうことがあって、起業前も少し不安がありました。『ちゃんとリスクを取った分、結果がついてきているよ』と、背中を押したいですね」
意思決定のあとで弱気になる。そんな一面もある福永だが、経歴を見れば華々しい。
高校ではWorld Scholar's Cup世界大会や高校生外交官プログラムに参加。慶應と米国の名門大学に合格し、奨学金を得た。大学では学会の奨学金と神経科学賞を受賞し、神経科学分野でHighest Honorsの評価を得て卒業した。共著論文は、2025年に査読付き学術誌『Learning & Memory』に掲載された。卒業後には、修士課程を経ずにマックス・プランク脳科学研究所で博士課程の研究を始めている。
失敗とは無縁のキャリアに見える。しかし、福永自身の認識は異なる。
「表向きには順調なキャリアに見えるかもしれませんが、裏では失敗もたくさんしています。それでも、ここまで来られたのは、バットを振る回数が圧倒的に多かったからだと思います。高校生のときにたくさんバットを振り、そこから振り方を覚えました。振り続けるなかで、ヒットを打てる割合を増やしてきたのが今だと思います。
逆に、振るのをさぼったときは、まったくうまくいきませんでした。たとえばですが、奨学金も、本当はもっと取れたはずなのに、と思うものがあります」
福永が成果を積み重ねてこられた理由は、リスクの取り方がうまいからだけではない。リスクを取って打席に立った回数そのものが、人より多いのだ。
福永が推薦する『逆説のスタートアップ思考』には、挑戦の回数について、こう記されている。
運はコントロールできないものですが、挑戦する「回数」は私たちの意思によってコントロールできます。——馬田隆明『逆説のスタートアップ思考』(中公新書ラクレ、p.168)
起業の成否を左右する運そのものは、コントロールできない。しかし、成功へ近づくための挑戦回数は、自分で増やせる。福永のこれまでの成果は、振ったバットの数によって呼び込まれたものなのだろう。
Taxaの先に、どのような未来を見ているのかも聞いた。福永は、高校時代に模擬国連へ参加した経験もあり、いつか国際情勢に関わる仕事に関心がある。
「たとえば、シリコンバレーの半導体のように、国の政策と結びつき、国際情勢に影響を与える取り組みに関心があります。それができるタイミングは、かなり限られているとは思うのですが、その機会ができた時にチャレンジできるようにはなっておきたいですね」
福永が好きな言葉として挙げるのが、武田信玄の「為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、成らぬと捨つる人のはかなき」だ。
「好きなのは、『為せば成る』のあとに続く部分です。挑戦してみなければ成功しないことを、挑戦もせずに『成功しない』と諦めてしまう。そのはかなさを言っている点です」
福永が見ている世界は大きい。「P&Gのような会社になる」ことさえ、最終目標ではなく通過点に見えてくる。福永はいま、デオドラントという一製品から、微生物を狙った場所へ定着させる技術、さらには皮膚以外のマイクロバイオーム領域へと、会社の可能性を広げようとしている。そしてその先に、「為せば成る」の精神で、かねてからの夢である国際社会への関与も見据えている。
福永が賭ける未来は、どんどん大きくなっていく。それでも、福永はリスクを恐れない。
取材音声(約 48 分)
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