
所持金60万円で渡米し「ハスラー」と呼ばれたシリコンバレーでの12年 Anyplace内藤聡
所持金約60万円で渡米した内藤聡は、お金もコネも英語力もない状態から、米国6都市と東京に広がる事業を作り上げた。それを可能にしたのは「ハスラー」(創意工夫と行動で道を切り開く人)の素質だった。シリコンバレーでの12年の歩みと、海外起業の実務16項目を紹介する。(取材・文:グローバルファウンダーズ編集部)
内藤聡の12年
プロローグ 即答だった
2026年7月。東京。
取材も終盤に差しかかったころ、どうしても確かめたいことがあった。
この12年、事業の生命線だったプラットフォームからアカウントを永久停止された。資金は残り2カ月まで減った。コロナ禍で取扱高が半減した。取引銀行が破綻した。金利上昇で、経営方針の転換を迫られた——。普通なら、何度折れてもおかしくない。
日本に帰りたいと思ったことは、ありますか。
「一度もないですね」
即答だった。
「本当にないんです。夢中になっているんです。夢の舞台で」
内藤は、リモートワーカー向けに、家具と仕事環境を備えた住宅を月単位で貸す「Anyplace」の創業者だ。いくつもの事業につまずいた末に、この会社を立ち上げた。
何が彼を、そこまで夢中にさせたのか。物語は、12年前の元日から始まる。
第1章 60万円と片道切符
2014年1月1日。世の中が新年を祝うその日、内藤はサンフランシスコへ向かう片道のフライトに乗っていた。
所持金は、約60万円。英語は、まだ話せない。
時計の針を、少し戻す。
内藤は1990年、山梨県甲府市で町工場を営む家に生まれた。父は毎日作業服を着て機械を直し、周りから「社長」と呼ばれていた。商売は、いつも身近にあった。
人生の針路を変えたのは、立教大学2年のときに観た1本の映画、『ソーシャル・ネットワーク』だ。
「あの映画でシリコンバレーという場所を知って、『どうせ商売をするなら、この舞台でやりたい』と思ったんです」
在学中に初めて渡米したときは、英語がまるで通じなかった。写真のないレストランでは、前の客と同じ料理を頼んでしのいだ。それでも帰国すると、ブログ『シリコンバレーによろしく』を立ち上げ、現地のスタートアップについて発信を始める。IT業界で話題になり、私もその読者の一人だった。
渡米の前年、内藤はそのブログにこう書いている。
「人生は有限である。好きなことをとことんやって生きよう」
ブログが縁で、後の支援者となる起業家の小林清剛と出会う。「日本で経験を積んでからではなく、米国で早く失敗し、早く学べ」。その言葉に背中を押され、内藤は片道切符を手にした。
映画に衝撃を受けた学生は、何万人といたはずだ。なぜ内藤は、実際に海を渡れたのか。
「どうしてでしょうね。ただ、まずはその場所へ行くことが大事だと思っていたのかもしれません」
「『いつかアメリカに行きたい』という人は、たくさんいます。でも、ほとんどの人は準備してから、と考える。本当に『行っちゃう人』は少ない。その一人であることが、実は一番大事なスキルなのかもしれません」
準備が整うのを待たず、まず動く。目標は「Facebookのような事業を作る」こと。何も持たない自分にとって、現地へ行くことが最短の道だと、無意識に分かっていたのかもしれない。
のちに内藤は、米国の投資家から「ハスラー」と呼ばれるようになる。限られた資源でも、創意工夫と行動で道を切り開く人のことだ。目的から逆算し、できることから動く。この気質は、以後の12年で、何度も試されることになる。
第2章 住まいも人脈も、自分でつくる
サンフランシスコの冬は、思いのほか冷える。
Craigslistで見つけた格安のシェアハウスには、暖房がなかった。内藤は薄いタオルケットにくるまって眠り、無料イベントで出るピザで食いつないだ。
金も、家も、人脈もない。ないものは、工夫でつくった。
家がなければ、仲間と古い建物を借り、二段ベッドを並べて共同生活拠点「TechHouse」をつくる。自ら大家になれば、家賃はほぼかからない。
人脈がなければ、メディア「TechWatch」を立ち上げ、「取材」を口実に起業家や投資家100人以上に会いに行く。取材が終わると相手を寿司に誘い、日本の市場や投資家を紹介した。
英語が得意でなければ、インタビューの録音を何度も聞き直す。それがそのまま、生きた英語教材になる。
ハスラーの原型が、ここにある。
とはいえ、見知らぬ相手に英語で会いに行くのは、怖くなかったのか。
「当時は本当に夢中でした。卒業したばかりで、シリコンバレーは映画で見た世界そのものだったんです。コロナ禍以前は、カフェにStripeを創業したコリソン兄弟がいたり、街中でマックス・レヴチンを見かけたり、ブルーボトルにジャック・ドーシーがいたりする。まるで『ジャンプ』の世界に入り込んだようでした。ルフィやナルトのような主人公たちが、同じ街にいる感覚です」
「本当に楽しかったですね。架空の世界にいるような、非日常の感覚がありました。夢中になる気持ちは、恐怖より強いのかもしれません」
第3章 暗黒の2年間

2015年、エンジニアの田中浩一と会社を設立する。最初の事業は、ホテルやAirbnbの当日空室を割引価格で売るアプリだ。約32万ドルを調達し、ダウンロード数も伸び始めた。
そこへ、Airbnbから警告が届く。在庫の扱いが規約違反だという。掲載停止、再登録禁止、そしてアカウントの永久停止。
事業の生命線が、一夜で消えた。
それでも内藤は、次の打ち手を探した。ホテルの空室販売へ切り替え、46時間、一睡もせずに営業を続けた。予約は、ゼロだった。
家具レンタル事業では運転免許を取り、中古家具を自ら運んだ。空港への荷物配送も試した。どれも軌道に乗らない。調達した資金だけが、減っていく。
内藤が「暗黒の2年間」と呼ぶ時期だ。
何が内藤を支えたのか。
「同じ環境で挑戦するファウンダーが周囲にいたことは、大きかったと思います。同じような志を持つ人が近くにいるのは、心強いものです」
もう一つは、内村鑑三の『後世への最大遺物』だ。
「その本を読んで、起業に取り組むうえでの『大義』を自分の中に持てたんです。会社を経営していても、『なぜ起業するのか』『なぜアメリカなのか』という問いに、自分なりの答えを持っている経営者は、意外と少ないのかもしれません」
内藤が見つけた大義は、こうだ。
「僕の場合は、死んでも残る事業を作りたい、という思いが一つあります。たとえ実現できなかったとしても、それを目指した『生き様』は残せる」
「そうした軸を持っておくと、ぶれにくくなります。僕自身、日本に戻らず挑戦を続けられた理由の一つも、そこにあったように思います。苦しい局面は少なくありませんから」
プロローグの「一度もない」という即答の根は、ここにある。
第4章 0票からの逆転
暗黒の2年間の出口で、内藤は問いを変えた。「何が儲かりそうか」ではなく、「自分が欲しいのに、世の中にないものは何か」。
答えは、自分の困りごとにあった。都市を移るたび、米国の賃貸契約が負担になっていた。
家具がそろい、インフラの契約も不要で、月単位で住める場所はないか。ホテルなら実現できるかもしれない。確かめるべきは二つ。ホテルは部屋を安く貸すか。そこに住みたい人はいるか。
サンフランシスコのホテルに、片っ端から電話をかけた。断られても、かけ続けた。やがて、月1,600ドルで貸すというホテルが現れる。その部屋を、約8ドルのノーコードツールでつくったサイトに載せ、掲示板サイトCraigslistへの投稿は自動化した。すると、長く住みたいという入居者が見つかった。
2017年、ホテルに月単位で滞在できる予約サービス「Anyplace」が始まった。

Facebookの住宅系グループにも投稿したが、規約を理由に削除された。ならばと、内藤は自分で住宅コミュニティを立ち上げる。参加者は、やがて1万人を超えた。場がないなら、自分でつくる。TechHouseのときと同じ発想だ。
だが、会社の口座は減り続けていた。運転資金は、残り2カ月。500 Startups、Techstars、Y Combinator。名だたるアクセラレーターに応募しては、落ちた。
最後にたどり着いたのが、Uberの初期投資家ジェイソン・カラカニスが運営する起業家育成プログラム「LAUNCH」だ。採択された内藤を待っていたのは、毎週約45人の投資家を前にした、3分間のピッチだった。
初週の投資家投票は、0票。
その夜、内藤は絶望のなか、自転車で夜の街を走り続けた。

それでも内藤は諦めなかった。英語コーチを雇い、想定される質問をすべて洗い出した。流暢な英語で勝負するのは、やめた。数字とグラフで、事業の伸びを見せる。
やがて、著名投資家のケビン・ローズが初めて票を投じる。その週、内藤は1位になった。卒業時には総合1位。約250万ドルのシード調達につなげた。
資金は尽きかけ、評価は0票。失敗が怖くはなかったのか。
「失敗が怖いのは、ある一時点だけを切り取った『スナップショット』で見ているからだと思います。長い目で見れば、失敗を含む起業経験は希少です。会社勤めでは得にくい経験だからこそ、採用したい会社も、投資したい人もいる。むしろ、市場価値を高めてくれる経験なんです」
「だから、失敗を過度に恐れる必要はないんです」
第5章 コロナ禍でいまのAnyplaceが生まれる
内藤は自らLinkedInで世界中のホテルに営業をかけた。Anyplaceの予約サービスは、23カ国・70都市・1万室へと広がる。
2020年。コロナ禍で、世界中の人の移動が止まる。取扱高は、半減した。
通常であれば、心が折れる状態だ。しかし内藤は再び、顧客の声を起点に事業を転換した。リモートワークが広がり、仕事に適した住環境へのニーズが高まっていた。
そこで始めたのが、高速Wi-Fi、昇降式デスク、モニターを備えた物件を提供する「Anyplace Select」だ。ホテル予約の仲介から、仕事環境つきの住まいの提供へ。事業の形が変わった。
最初の一室は、サンフランシスコの物件「NEMA」だった。転貸は禁止。それでも内藤は直接交渉し、一室だけ例外として認めてもらう。家具は、自分で運び込んだ。その部屋の最初の入居者は、約1年間住み続けた。

時流に乗り、事業は再び成長した。
2023年3月。取引銀行のシリコンバレーバンクが、突然破綻する。会社の預金も、物件を増やすための融資も、そこにあった。CFOはいない。内藤は自ら、銀行側との交渉に臨んだ。融資は、買収先の銀行のもとで維持された。
この前後、創業初期からの仲間4人のうち2人が、会社を離れている。
追い打ちをかけるように、金利が上がる。「成長すれば、次の資金が集まる」というスタートアップの前提が崩れ、市場は利益を求めるようになった。
内藤は経営の軸を成長から黒字化へ切り替え、組織を3分の1以上縮小。粗利、稼働率、リピート率を立て直した。
顧客が変われば事業を変え、市場が変われば経営を変える。この転換の速さが、Anyplaceを生き延びさせた。
自分では動かせない外部環境に、どう向き合ったのか。
「コントロールできることと、できないことを切り分ける。できることに集中して、結果に必要以上に振り回されない。『人事を尽くして天命を待つ』です。やるべきことをやり切っていれば、望んだ結果にならなくても、次へ進みやすくなります」
話は、今も毎週読む『週刊少年ジャンプ』に及んだ。
「物語は、失敗したり打ちのめされたりするからこそ、心を動かすのだと思います。」
「『ONE PIECE』がグランドラインを目指さず、『イーストブルーで終わろう』という話だったら、きっと今ほど多くの人を惹きつけてはいません。困難も『良い物語のアクセントになる』と捉えられると、少し向き合いやすくなるのかもしれません」と、内藤は笑う。
第6章 シリコンバレーの伝統芸 ハスラーの技術

改めて、ハスラーとは何か。
内藤は、投稿を消されたFacebookグループの代わりに1万人規模のコミュニティをつくり、アクセラレーターでは0票から総合1位へ巻き返した。そのハスラー精神は、意識して身につけたものなのか。
「目的達成力は、ファウンダーにとって重要な資質の一つだと思います。」
「優れたファウンダーほど、限られた条件のなかでも、目的に向けて手を動かし続けています。ジェイソンも、創業者がエンジニアではない場合は、特にハスラーとしての実行力を重視していると聞いています」
シリコンバレーの起業家が自ら手を動かした逸話を、内藤は楽しそうに語る。
「Airbnbが創業初期にCraigslistを活用してユーザーを集めた話は有名です。Stripeにも『コリソン・インストール』と呼ばれる逸話があります。APIのリンクを送るだけでは導入が進まないと、コリソン兄弟が相手のもとへ出向き、その場でインストールまで行った。僕は、そうした話がとても好きです。スタートアップの世界では、最後まで実行する姿勢が大きな差になるのだと思います」
ある上場企業の創業者の話も続いた。投資家に必ず聞かれる「差別化要因」に、彼女はどう答えているか。
「上場した後でも難しい質問だ、と彼女は言います。投資家には『データが蓄積され、AIによって精度が上がる』と説明する一方で、あえて本質を言えば、最終的に重要なのは実行力だ、と。上場まで事業を育てた方の言葉だからこそ、強く印象に残りました」
戦略を描くだけでは足りない。最後までやり切る。ハスラーとは、その力を持つ人のことだ。
第7章 スタートアップにおける大谷選手
2026年、Anyplaceは日本へ進出した。東京の恵比寿、芝、日本橋で、主に海外から訪れるビジネス人材を迎える。6月には初の著書を出し、ひと月あまりで重版が決まった。
なぜ、いま日本なのか。訪日客が増え続けるなか、30日以上滞在する人も年間60万人以上いるという。だが、その受け皿は驚くほど少ない。
日本のマンスリーマンションは、30平米以下のワンルームが中心だ。広い住まいに慣れ、予算もある米国からの長期滞在者には、選べる部屋がほとんどない。
手応えは、想像以上だった。物件はほぼすべて海外からの予約で埋まり、4月の花見シーズンには稼働率100%に達した。

強みを聞くと、内藤はAirbnbとの違いを挙げた。
「Airbnbには魅力的な物件も多いですが、外れもあります。2〜3日なら我慢できても、2〜3カ月となると、環境が仕事に与える影響は大きい。Anyplaceは、どの物件でも一定水準の仕事環境を提供しています。長期滞在だからこそ、一貫した品質に価値があるんです」
追い風もある。民泊規制の強化だ。ニューヨークでは30日以下のAirbnbが事実上できなくなり、東京でも規制が進む。一方、Anyplaceが扱う月単位の滞在は、法律上は賃貸にあたる。民泊で収益を上げにくくなった物件オーナーやデベロッパーにとって、新たな選択肢になる。
ただ、デベロッパー自身には、海外から客を呼ぶ手段も、英語での対応や入居審査の体制もない。収入も信用もあるのに、日本で家を借りられない海外の人は多い。そのギャップを埋めるのが、Anyplaceの役割だ。
こだわりは、細部に宿る。たとえば、ベッドの大きさだ。
「キングサイズのベッドは、日本ではまず見つかりません。でも米国のお客さんは体も大きいし、パートナーと一緒に寝る文化がある。クイーンやキングを用意すると、すごく喜ばれるんです」
目指すのは、世界のどこにいても、仕事環境を重視する人に安心して選ばれるブランドだ。
これから海外に挑む人へのアドバイスを聞くと、話は個人を超え、日本全体に広がった。
「サッカー選手がプレミアリーグを、野球選手がメジャーリーグを、バスケットボール選手がNBAを目指すように、スタートアップの世界でも、シリコンバレーを自然に選択肢へ入れる若い方が増えてもよいと思います。シリコンバレーを必要以上に別世界として捉え、自分が挑戦する場所ではないと感じている方も少なくありません。でも、そこで成果を出している人たちも、僕たちと同じ人間です。」
「違いは、現地のルールを知り、実際に経験したかどうかです」
ルールの違いとは、たとえば資金調達だ。
「アメリカのVCはパワーローを前提に、ポートフォリオ全体で成果を考えます。100社のうち1社が大きく成功することで、ほかの失敗を補うという発想です。そのため、創業者には『フルスイングしてほしい』と、大きな挑戦を求める傾向があります。能力の優劣ではなく、ゲームのルールが違うんです。ルールを学んで挑戦する日本人が増えれば、活躍する人も増えていくはずです」
米国では、中国、インド、韓国の起業家が強いコミュニティを築いている。韓国には移民の創業者によるユニコーンが何社もあり、中国出身の創業者からはZoomが生まれた。トップティアのVCにも、自国にルーツを持つパートナーが大勢いる。日本との差を、内藤はこう見る。
「ロールモデルと、投資家の層の厚さです。エコシステムが、日本より2周も3周も先を回っているんです」
内藤は講演や後進への助言に多くの時間を割く。その理由を尋ねると、答えは再び大義に戻った。
「海外で事業をつくった経験のある経営者が増えることは、日本のこれからにとって重要です。」
「いずれ、スタートアップにおける大谷選手のような経営者も出てくるでしょう。そうして、海外での起業はもっと身近になっていきます。」
仮に海外でうまくいかなくても、その経験は日本に戻ってから必ず生きます」
「日本から海外へ挑戦する方が増えれば、Anyplaceを含め、海外市場に取り組む会社同士で知見やネットワークを共有できます。個々で競うだけでなく、ときにはチームとして助け合いながら挑む。そうした関係をつくることが大切だと思っています」
日本人のコミュニティが群として強くなれば、巡り巡って自分の事業の成功確率も上がる。内藤はそう考えている。
日本人がサンフランシスコで起業することは、もう珍しくなくなってきた。Y Combinatorに採択される日本人も増えている。
次の課題は結果だ、と内藤は言う。自身も含め、投資家にリターンを返せる会社がどれだけ出てくるか。
「YCに入ることが、憧れのゴールではなく通過点になればいい。そこからZoomのような会社が出てくれば、日本のスタートアップの歴史は変わると思います」
内藤は2024年、自身のブログにこう書いた。全員が米国で起業すべきだとは思わない。ただ、人口が減り続ける日本市場だけで事業をすること自体が、長期的にはリスクになる——。そして、こう続ける。
「どうせなら世界最高峰の舞台で、バットを振り続けたい。少なくとも、自分はそういう人生にしたいです」
エピローグ よく行ったな

海外へ出る前の自分に、今なら何を伝えるか。
「『よく行ったな』ですね。アドバイスというより、当時の自分への感心に近い。経験が少なかった分、『自分もFacebookのようなものを作れるかもしれない』と、大きな可能性を信じていました。経験を重ねるほど、現実も自分のことも見えてくる。でも、あの頃の野心は失いたくない。むしろ時々あの頃を振り返って、当時の自分から発破をかけてもらっている感覚です」
12年前の無謀な自分は、反省の対象ではない。今も内藤を走らせる燃料だ。
では、海外に関心を持った読者は、何から始めればいいのか。
「すぐにチケットを取って、アメリカに来る。それしかないです。まず来ちゃう。これで来られる人が強いですよ」
「ビザ、資金、英語は、どれも現実的な課題です。でも、条件が整う前に一歩踏み出すと、そこで生まれた縁や機会で解決できることもある。逆に、それで解決できなければ、アメリカで事業をすることに向いていないのかもしれません。それを確かめる意味でも、早く現地に行くほうがいいと思います」
13年前、内藤はブログ『シリコンバレーによろしく』に、こう記している。
「是非、明確な目的意識を持ちシリコンバレーを訪れてみてください。目的ある行動を貫けば、必ず何かが返ってくる地がシリコンバレーです」
その頃から、内藤の助言は変わらない。まず、現地へ行け。そして内藤自身も、「Facebookのような事業を作れるかもしれない」という当時の目的を、今も貫いている。
取材音声(約 57 分)
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